ビジネス書に「学び方」が増えている
「学び方」や「学び」についての本はたくさんありますが、最近ではビジネス書にも多く見られるようになりました。マーケティングを学ぼう、営業のプレゼン方法を学ぼうとかではなく、「学び」そのものが注目されています。
いろいろ理由はあると思いますが、1つは多くのビジネスが行き詰まっているから。作れば売れる時代が終わって十数年たち、その惰性もなくなりつつあり、今では日本の企業は(世界のトヨタでさえ)世界から遅れていると言われるようになってしまいました。
自動車だけでなく、家電もそう。
国土も狭く、油田のような資源も乏しい日本に残っている資本は、勤勉な国民。じゃぁ脳をフル回転させてイノベーションだ!と号令をかけて新しいアイデアやビジネスを作りだそうといろんな企業が躍起になっているけど、それがなかなかうまくいかない。
どうしてか。
答えのないものを自分の頭で考えることを「学んで」きていないからではないでしょうか。
日本の義務教育は詰め込み型と言われ、ほとんど自分の頭で考えることをしません。3桁の掛け算だって、頭で考えているのではなく、覚えた公式を使っているにすぎません。
多分、本当に頭を使って考えているのは、道徳の授業とか、どうやったら授業をサボれるかとか、好きな子とどうやったら仲良くなれるかとか、そんなときぐらい。
僕は詰め込みが得意な方だったので高校進学までは苦労はありませんでしたが、大学や社会に入ってから「考える力」が乏しいことをまざまざと痛感しました。
話がそれました。
「学ぶ」ことの本質は何なのか。
こなん学習室ではそれは「好奇心」だと捉え、授業を用意しています。
実は、仏教をつくったブッダも好奇心から覚り(さとり)をひらいたそう。
数ヶ月前からスタートしたNHK出版の「学びのきほん」シリーズでは、様々なテーマを切り口に学びについて書かれています。
つい先日発売した最新刊「ブッダが教える愉快な生き方」では、好奇心からくる学びを「オーガニックな学び」と書かれています。
オーガニック(有機的)とは、つまり連鎖的なもの。この時間は国語、ここからは数学、はい次は理科、と分断された学びではなく、生きている中で感じた疑問の答えを考えることがオーガニックな学びです。
ブッダは、実は身分の高い家の御曹司で、何不自由なく、後継者になるべく育てられたそう。著書の中で、学校的な学びもこれに近いと書かれています。社会の中(戦後の日本社会)でこういうことがわかってる人材になってほしいという願いから今の教育が始まっています。
そんな範囲が決められた与えられるだけの学びを受けていたブッダは、あるとき外の世界を知り、いろんな「なぜ」が生まれ、それを知るために29歳(28歳だったかな・・・)で家を出るのです。
当たり前のことですが、ブッダは仏教を学びたくて、修行をしたわけではなく、生活の中の「なぜ」「どうして」を探究した結果、仏教が生まれたのです。
何が言いたいのかわからなくなってしまいましたが、
つまり、生活の中で自分がもった疑問や好奇心を大切にしようぜってことです。
趣味がある大人は自分なりの「学び方」をもっているのではないでしょうか。日曜大工とか釣りとかは学びの宝庫ですよね。で、ぼくは子どもたちにも勉強以外の分野での好奇心を大切にしてほしい。ピアノとか水泳とか習い事でも大歓迎。(先生に言われた通りにやるだけの習い事はあんまり良くない)
もし、自分の好きなことが習い事になかったら、ぜひ一度相談に来てほしいです。やります。
0コメント